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2021-08-15

灼熱と長雨の間で、2021年夏のランニングと私。

毎年増えている気がするゲリラ豪雨や梅雨の長雨。

暑さが年々厳しくなる夏のアスファルト。

1年1年地球も年を重ねるごとに、その様相は少しづつ変化している。それはそんな地球に居座り続ける人間様が「進歩」と称して進めてきたあゆみの結果に他ならない。

安定から不安定へ。

便利で楽しい世界を目指してきた私たちのロングランは、あらゆる土台でほころびを産み始めているわけだが、そんな大地を走り続ける私たちは何ができるのだろう。

ただ「走る」だけというミニマルな営み

ランニングやジョギングというアクティビティは、不毛な消費や開発を必要としない大変ミニマルなアクティビティだとつくづく思う。

ランニングシューズや渇きの良いウェアは必要だけれども、一度買ってしまえばそれ以上はもう何もいらない。あとは気のみ気のまま、思い立った時、もしくは毎日同じ時間に、ただ自らの身体に少しだけ喝を入れて走り出すだけ。

あとはもう、文字通り淡々と走り続けるのみ。余計なことを考えず、時には音楽でも楽しみながら、人間様の身体が求める前へ素早く進み続ける”ムーヴ”を許容してあげるだけだ。あとは何もいらない。

真夏の日差しに身体にまとわりつくウェアが邪魔になれば、人気がなければ脱ぎ去ってもいい。まぁこれは男性にしかできないが、そうやってこんな暑い日に走り続ける時こそ、無駄な物が削ぎ落とされていく営みなのだと実感する。

何度も好きになるランニング

それはある種の好物のように。

時にちょっと食べ飽きることもあるけれど、やっぱり何度も惚れ直す。

「俺、やっぱりランニング好きだわ。」

「ランニングって、ほんと気持ちいいな。」

この人生で、なんと同じつぶやきを心の中に吐き出しただろう。

わかっているのに、走り続けていると多少なりとも「波」みたいなものがあって、すごく走れる時期とそうでない時期が周期のようにやってくる。そして、停滞の後にやってくるウェーブに乗った時に、毎度同じようなセリフに出くわすのだ。

これほどまでに、飽きずに生活に身近に、優しく静かに淡々と寄り添い続けてくれる相棒は、他には見つからない。走ることは裏切らないし、あー今日は走らなければ良かったと思うことはほとんどない。

走って走って、今日も走った先に何かを目指しているわけではないのだけど、やっぱり今日も楽しくて走っている。

そんな日常は、地球様がどんなに変化しようが、変わらず人間様の生き様に寄り添い続けていることでしょう。

https://runstagramer.com/2022/07/18/heatstroke/
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